お金の話 右に倣っても仕方がない おまけ
初の試み5夜連続同じテーマ 「お金の話」「右に倣っても仕方がない」のおまけです。
そのシリーズの全編はこちら→#お金の話
おまけを書いてみました。
5連続をまとめると、お金はお金、豊かさは豊かさ、そこを一緒にせず整理整頓することが大切だと思っています。
その他、おまけと言うか物質以外のことをまとめました。
精神論がなんの足しになるかは分かりませんが、誰かが何かのために思い付いたのが「お金」です。気持ちから具現化したのでしょう。
「信頼」も物質ではありません。「価値」も絶対的な定義のない「思い」です。
精神論から生まれる(具現化する)何かがあるなら、そちらの方が話が早いと思ってます。
生きると死ぬにあまり意味はない
いきなり壮大な話ですが、「生きる」を「活きる」と思うと、ただ生きてるだけに意味を持てません。
「生きながら死んでる」と言う嫌な言葉も「死にながら生きてる」と対義語もあって良いと思います。
そんな話あり得ないと思うかも知れませんがあり得ます。
例えば故人を全ての人が忘れたらその故人は本当に死ぬでしょう。誰かの心に生きてる限り死んでません。
しかし「生きながら死んでる」のは悲しいです。
「生きる」を「活きる」に変えたら「活きながら死んでる」となりますが、なんかカッコよくないですか。
「その為に活き、その他のことは死んでいても満足」なんとなくそんな意味にも聞こえます。
どんな小さな夢でも、世界に存在する極小の砂漠の一粒のような夢でも、霧の一雫のような夢でも夢を叶えるために、努力することに他人は関係ありません。
「活きてる」人のパワーに勝るパワーはないでしょう。
その夢に自分を捧げることが自分であるなら、その夢に向かうべきです。
そこに「死」が潜んでいても夢を叶えようと一歩前に出たその背中はどんな宝石よりも輝いているでしょう。世界一輝いてる背中を「死んでる」と言う人はナンセンスだと思えば良いことです。
鳴かぬなら鳴してみようホトトギスなんか必要ない
この正解はたった一つにした方が解決は早いです。
鳴かぬなら鳴くホトトギスを探しましょう。これがそのたった一つの答えです。
無理して友達を作る必要はないし、無理して何かのコミニティーに参加する必要なんかありません。誰かがくれた夢が自分にとってワクワクしないならその夢を叶える意味もないでしょう。
友達も「少ないよか多い方が良い」くらいの話で人数勝負を誰とも競ってないことを再確認しましょう。
「あんた、友達少ないよねー」と言われたら、
「あら、でも良かった。貴方が友達で」と答えれば全て解決です。
無理して気の合わない友達と連むより自分の夢に立ち向かえばそこには気の合う友達が必ず登場します。
その根拠は、夢を叶えた人たち全員の中に友達のいない人はたったの一人もいないと言うのが根拠です。
鳴かないホトトギスを大事にするより、一緒に鳴いてくれるホトトギスを探すほうが良いと思ってます。
孤独を恐れない
孤独はとても怖いものです。自分が世の中に必要とされていないような錯覚に陥りがちです。
孤独は上手に使えば時間が手に入ります。自分の夢を叶えるために思案する時間、具体的な行動を実行できる時間。孤独は現実的な要素を多く含んでます。
孤独と共存することを恐れる意味はありません。上手に使えばいいだけです。
孤独が社会から取り残される恐怖の場所だとしたら、夢を叶えてる人は毎日友達と遊び毎日友達とラインをし寝る間も惜しんでSNSに投稿しコメントを必ず返信した人だけとなります。
そんな定義があるわけがないのです。
孤独は勝利のために必ず立ち寄る港町みたいなものです。
後悔なんて当たり前
後悔をいちいち馬鹿にすることほど間抜けなことはありません。後悔なんてどうでも良い話です。
「やって後悔」「やらずに後悔」と聞き覚えがあると思いますが、それが大なり小なりどんな形でも存在します。その事柄が成功したとしても、まだまだ反省点があるのが当然でしょう。自分を後悔のない人間だと期待する方が間違っています。
どこかの大金持ちが様々な理由でまだまだ利益を追求するのは、自分が思う完璧な豊かさを手に入れてないからです。どこかの偉大な坊さんが様々な理由で修行を自分に課すのは自分が目指す完璧を手に入れてないからです。
後悔とは反省点です。
「反省してまたトライして後悔して反省点を見つけ出し同じ轍(てつ)を踏まない努力をしてまた後悔をし反省をしてまたトライ、、、、、」この当たり前を馬鹿にすることはだいぶお間抜けです。
自分を貫く
これは勘違いされないようお願いしたいのですが、「自分」はいつからその自分でしょうか。今の自分が最先端でその前の自分もその時は最先端だったはずです。
変化することを受け入れなければ取り残されるでしょう。
変わらないために変わり続ける、これだけです。
意固地になって過去の自分を正義にし続ける成れの果ては後輩を連れて居酒屋でヤザワになるくらいが関の山です。
いつでも最先端の自分に変わることが、自分を貫く方法だと思ってます。
夢を持つ
これは絶対定義と言っても良いかも知れません。
その夢の大きさ、困難な道のり、壮大さ、そんなの関係ありません。
「新しい冷蔵庫が欲しい」も立派な夢です。「明日は寝坊しない」最高の目標です。
それに対し「ちっさい夢だねー」と言う人と付き合ってるなら明日から付き合う必要はないでしょう。それに夢を人に言わなくても良いのです。口に出した方が夢は叶うなんて言う人がいますが、それはその人がそうであって真似しなくても良いんです。
昔、よく言ってました「協力しなくて良いから邪魔すんな」と。
言葉通り、邪魔ほど邪魔なものはありません。夢を口に出すのが邪魔くさいなら言わなくて良いし、協力してくれる人だけを見つければ良いことです。
「ちっさい夢だねー」と言うその一言がどれだけ一歩を踏み出す勇気を止めているかを思わない人とわざわざ連む必要はありません。
共存する気持ち
最後になりますが、スポーツや何かしらの戦いにおいて「気持ちが大切」と聞き覚えがあると思います。
「気持ち」と「体力」を天秤にかける人がいますがそれは間違いです。その双方はお互いに連動するようになってます。二対一体一蓮托生と言った感じでしょうか。
自分も気持ちより体力の方が重要と思った時期もありますが一体のものを2つに分ける方が馬鹿げてました。
「気持ち」と「体力」、「やる気」と「根性」、「名もなき戦死者」と「勝者の歴史」、「地球環境」と「経済発展」そして「価値」と「豊かさ」これらは2体一対一蓮托生です。わざわざ分けなくても良いですが双方を整理整頓しなければゴチャっとなって曖昧になるでしょう。整理整頓を今まで誰もやってきませんでした。そしてこれからも誰もやらないでしょう。自分自身でやるしかないのです。
自分が試される時代と言われていますが、それは自分を試すことができる時代です。トライできる時がやっと来たんです。
全てと共存する時代がやってくるでしょう。それは100年後かもしれなし、1世紀後かも知れません。もしかしたら明日かも知れません。
いつくるか分からない共存の時代への準備はできてる方がいいでしょう。
お金の価値は誰かに決めてもらいましょう、自分の豊かさは自分で決めましょう。
I wanna be me, 自分が自分になる、この一言に尽きるのではないでしょうか。
最後の最後になりますが、夢を持ちその夢を叶えるために重要で必要な条件は、
「戦争をやらない」と言うことです。