ミサキ流 正しい政治批判 参考文章


この世界的な騒動に露呈する数々の嫌な事実。
いったい自分たちの祖先は何を信じ何を期待したのか、それさえも疑わしく感じる政治。

しかし、それでも政治と言うシステムがあってこその暮らしの健全であることも事実です。人類が理性ある人として存在してから最も優れた健全性を保つために政治と言う仕組みを考え実践しているのは言うまでももありません。
しかしその内容と言えば、さみしい限りの利己主義が目立つ、、、、しかし、、、
しかし、、、、、表裏一体の無限ループになるのです。

答えとして「政治家が政治をちゃんとやってくれればそれで良い」となります。
では「ちゃんとやる」の部分は人それぞれと言う方もいるかもしれませんが、
「国民全員が三度三度の食事が苦労なくとれて苦しみのない人生を送れること」と自分は思っています。
これに当てはまらないのでやはりイマイチ政治となってしまいます。

そこで!
わやくちゃに文句も言いたい気持ちもわかりますが、正しく批判しましょう。

前置きしますが、ややこしい思考の方はご遠慮ください。楽しく気軽に読める方でお願いしますね。

基本
1)定義にあてはめる
2)自分本位でものを言う
3)知識はどうでもいい

この3つです。
この3つさえ守ればルールには違反しません。

その前に、、、、
政治に文句があるなら政治家になれ!と言う意見は民主主義違反です。と言うよりか共産主義でも資本主義でも批判を言いたい人は言ってOKですよ。
例えば北朝鮮政府。これは日本では独裁国家とされていますがちゃんと選挙で書記長を決めています。金さんが適切でないなら投票しなければ良いだけです。では当の金さんは自分のことをどう思っているか?と言えば自分を独裁者と思ってるとは考えづらいです。統治者としての称号書記長を国民から与えられたと思ってると予想します。

安倍総理も同じですよ。安倍総理は国民から統治者としての称号総理を与えられたと思っているでしょう。これは全世界のトップの人全員同じだと考える方が正しいような気がします。

ただ、進化主義や至上主義を定義とする国であれば話は別です。それはある種の統一を目指すことになるのでとても危険です。
ちなみにアドルフヒトラーは民主主義国家の中で進化主義を提唱した政党から出馬し共産主義を主体にした国家つくりを主張し選挙で国民に選ばれた首相です。
なので主義も国家も選挙も曖昧なのが分かります。しかしこのヒトラーと言う事件があったおかげで共産主義、民主主義、この2つの違いと定義が出来上がりました。
国家としての主義もその定義のおかげで普遍的な要素が強くなったと言えます。
日本は民主主義なので、政治に文句があっても一般市民でOKです。じゃんじゃん言いましょう。政治に文句を言えない状態は「オール無関心」「オール非国民」「言えば殺される」この3つくらいでしょう。主義は関係ありません。

1)定義にあてはめる
ではでは、民主主義に当てはめます。安倍総理や麻生元総理も民主主義を望んでいると思うのでお二方の名前を使わせていただきます。批判なので敬称なしでいきます。

良い例「安倍や麻生ばかり良い目を見て俺ら国民は貧困だ!ふざけんな!」

解説 / 国民全員の平等を保障することが政治家の仕事となるのが民主主義です。不平等を感じたら「不平等!」と言うのはOKです。 

良い例「ったく、安倍が俺らの代表でその結果がこれ?麻生と変わりゃしない」

解説 / 国民が過去の経験を学んでいることが分かります。変わらない今があるとしたら過去には自由も平等もないのでしょう。国民一人一人が自分のために安倍総理や麻生元総理が働いていると認識していることが分かります。

悪い例「安倍は犯罪者!麻生は二世のボンボン!あんな奴らに国を任せられない!」

解説 / 犯罪者かどうかは検察と司法が決めます。あからさまに現行犯や証拠があるのにも関わらず逮捕または検挙しない場合は検察または警察を責めましょう。公安を責める方もいますが公安は政府の命令により国内の治安維持のために動きます。警察や検察とは性質が違います。証拠などがあるにも関わらず検挙しないのは警察と検察です。そして二世のボンボンはそのままなので問題はありませんが、二世のボンボンに国を任せられない!は選挙のあり方か所属の政党への批判へ変えるべきです。ここでも国を任せたのは選挙であるため任せたのは国民の総意を否定することになります。それは民主主義とは無関係な事柄です。

2)自分本位でものを言う
これは実に簡単です。

良い例「安倍、嫌い!顔も好みじゃないし、テレビに映るだけで吐き気がする」

解説 / 個人の思うことを尊厳できるのが日本の表現の自由です。この意見が否定されるとしたらそれは危険です。誰もが安倍総理のことを好きでないといけなくなるので、それは表現の自由に留まらず個人の想いをも否定する国家となります。

良い例「麻生がまた腹の立つこと言った!あいつはいつまでバカなのか?だいたい政治家が国益とか言い出してお前らは商人か!」

解説 / 麻生元総理への叱咤激励です。民主主義国家において政治家は国民が雇い主です。バカにバカと言うのは何も悪いことではありません。バカな麻生さんより賢い麻生さんを望んでいるのですから何の不備もありません。そして政治家が政治と同じくらいの仕事として国益で利益をあげようとしていることへの不信の表れを感じます。営利企業があるように営利政府にならないのが政治の本文だと改めるきっかけになるやもしれません。

悪い例「安倍が総理なんて嫌だ!麻生も大臣の器じゃない!あいつらは日本を独裁している!」

解説 / 安倍さんが総理であるのが嫌であれば自民党に申し入れしましょう。選挙制度の仕組みの要求を政府にするべきでしょう。今のところ、ご存知の通り第一党政党となった政党が自由に総理を選べます。その仕組みを帰るのは安倍総理ではありません。そして麻生さんの器の問題では政府が麻生さんの器量を測っての大臣就任となっていますから麻生さんには何も罪はないでしょう。政府に文句を言うべきですが、やはり選挙で選ばれた政府となりますので選挙の在り方の問題となり安倍さん麻生さん双方の問題ではありません。そして独裁と言う定義はあまりにも曖昧なのでそこを深掘りして根拠付けることが必要です。

3)知識はどうでもいい
知識はあるに越したことはありませんが、上には上がいるので知識比べは役に立たないでしょう。

良い例「憲法第9条を改憲するなんて信じられない!日本の憲法を守れ!安倍はバカなのか?」

解説 / 憲法とは国で定める定義です。それを守るのは全国民です。そこには政府も内閣も含まれます。憲法改正となると国の在り方が変わってくるのが憲法です。国の在り方を変える場合もありますが、多くの国民が認めている絶対定義です。それを守りたい気持ちが伺えます。そして安倍総理一人または安倍内閣たった1つの決断で変えれるほど憲法は軽くないのです。それを悲願と軽く言う自民党をもう一度己で省みてほしいと言う熱意すら感じます。国をも動かす大問題が憲法改正なのです。

良い例「戦争をやりたきゃ安倍と自民党全員で戦地に行けばいい。俺ら国民はお前らに付き合いたくない」

解説 / 戦争を完全否定することは世界共通の目的です。では戦争をやらかす職業は軍隊と政治家の2つしかありません。その張本人が戦地に行かないのは明白です。そして民主主義において最も遠ざけるべき問題が「自由と平等への障害」です。自由と平等の両方を奪う可能性を否定することは何の問題もありません。そして政治家に国民が付き合うのは選挙制度とは無関係です。進化主義や至上主義を自民党が提唱しているなら第一党政党として我々が選んだことになるので付き合うのも止むを得ないですが民主主義を提唱している自民党なのですから自民党や政府の行いに付き合わなくてもOKです。

悪い例「軍需産業への介入で沖縄の海は死んだ!だいたい日本ほど平和を樹立した国は他に無いのに、わざわざ軍隊にして何がしたいんだ!」

解説 / 沖縄の海が死んだのは当然基地の建設に一端はありますが、この場合、「沖縄のきれな海を壊さないで!」とするべきでしょう。海を守る気持ちを全面に押し出すほうが効果的です。軍需産業への介入を嫌うのは世界共通のテーマですが沖縄の海と深く関連付けるよりも軍需産業への批判を持ち出しましょう。日本ほどの平和はおそらく世界中のどこにも無いです。平和をもっと訴えるべきですね。平和を壊すのは軍隊か政治家の始める戦争がその事実であることを書きましょう。この場合「沖縄の海を守ろう!軍需産業なんかいらない!世界中の政治家が戦争をやらなきゃ良いだけだ。戦争バカと平和ボケ、この2つなら後者だ。日本の平和を世界に真似してもらうのが安倍総理の使命だろ!」と言った感じの文面がまとまりがあります。

まとめ

以上が面白おかしく書いたミサキ流「正しい政治批判」です。
安倍総理と麻生元総理には登場していただきましたが、お二方は民主主義を望んでいるでしょうし民主主義国家として政府を運営していることでしょうから正しい批判は真摯に受け入れてくれるでしょう。

民主主義国家において政治への批判や不信はじゃんじゃん言うべきなのです。

ちなみに「政治の話は、もー、、、うるせーよ」と言い出したら統治者への失礼に当たると思います。安倍総理をはじめ日本政府は民主主義と資本主義と言う無理難題をクリアするために雇い主である国民の意見を重要だと考えてくれるはずです。
なので「もー、、うるせーよ」と言う気持ちを「安倍さん!麻生さん!周りがうるせーから政治をちゃんとやれよ!」と言うのが正しいでしょう。