骨は折れても心は折れず


数日前に書いたネタの内訳報告です。
先日書いた記事はこちら→訳あって

簡単に言うと骨折しました。
遊びに行って折れました。その遊びは何か?と聞かれても実際骨を折ると言うダサいことになったので、その遊びは内緒です。

どんな遊びでもある種の危険が溢れてますが、その危険を怖がりながら遊ぶのが一番怖いことですし、大ざっぱになったり雑になることも危険です。丁度いい加減と言うのがあります。
しかし、怪我や事故はほんの数ミリのミスが一瞬でいくつも重なり起こるのです。その数ミリのミスを回避するのはとても難しいのですが、自分のように怪我をするその直前までに心に留めていることを書いてみます。

分かりやすい例えでバイク転倒事故
バイクに限らず全ての遊びがそうですが、イメージしやすいのでバイクを例えに挙げます。
バイクが転ける段階は、①予期せぬ何かしらの不具合が生じる→②その危険を回避出来ない状態→③その危険に接触→④事故と4段階あります。バイク以外もどんな遊びにも段階があるはずなのでそれに当てはめてみてください。
一瞬の出来事ですがその全てに「なんとかする」と言う気構えを持っています。

①予期せぬ不具合が生じる
これは自分で起こすこともあれば第三者によって起こることとその内容を言えばキリがない現象です。
車やバイクは移動するためのものなので止まった状態ではその機能を果たしませんし、飾って眺めて楽しむのはもう少し年寄りになってからの楽しみにしている人がほとんどでしょう。
予期せぬ不具合が生じた場合、車やバイクは先ずは安全に止まることを優先しましょう。走っているので安全に止まれないと言うことを知っていれば、最善の安全停止が見えてくるかも知れません。
この時点で自分は見える全ての状況を判断するように努めています。見えないものまで見ようとはしません。恐怖に負けて目をつむることはありません。それは一瞬のことなので安全に止まることができるのかどうかを判断できる可能性を残すようにしています。

②その危険を回避出来ない状態
ほとんどの車やバイクは安全に止まることができると思います。ロッククライミングのように手を滑らせた状態は言うまでもなく落下しています。この状態では安全ロープがないと真っ逆さまです。崖から離れてしまったらどうしようもありません。
しかしバイクや車はほとんどの場合地面に接しています。避けられる最大幅があるならその最大まで避けましょう。逃げるが勝ちです。時間を稼げると言うのはありがたいことです。
バイクや車は滑ってコントロールが効かない場合があります。その際は状況にもよりますがハンドルコントロールとブレーキの冷静さを失わないように「止まる」ことだけを目指しましょう。特にバイクはその性能上ブレーキは一気に強く握るのはもう一つの危険が登場します。強くかけるタイミングを間違わないようにするのも大切です。
この時点で自分は自分の向かっている事故現場を確認するようにしています。どこに行くか分からないまま転けるのは嫌です。できる限り行き先を確認するように心がけています。
今、どんな道を走って来たかを頭の隅っこにおいておくのも良いかも知れません。

③その危険に接触
これが事故の瞬間です。こうなってしまったら運を天に任せるしかないのですが、
自分は「生きる!」と本能的に思うようにしています。間違っても「死ぬ!」とは絶対に思いません。想いは必ず叶うので「生きる!」です。

④事故
残念ながらダサいことになってしまいました。カッコイイのとダサいのではカッコイイのが好きなので好きな方を選ぶようにしていますが起こったことは起こったことなので冷静になり社会人として当たり前の行動をとります。
救急隊を呼び意識確認をし病院に行き警察の事情聴取に応じます。これはもしドライブやツーリングに行っていて赤の他人の事故に遭遇しても同じです。その人がもし1人で遊びに来ていたら助けられるのは偶然そこにいた人だけです。

最近は何に対しても過敏になり責任追及をしすぎている節のある世相ですが、緊急の行いに対し良いも悪いもないと自分は思っています。自分は骨折しましたがその時に周りにいてくれた方々とその行動に感謝しかありません。もし骨折ではなく最悪の事態だったとしても周りにいてくれた方々に感謝するでしょう。

日本の場合、通常の町中であれば約30分もあれば救急隊はやって来ます。搬送に1時間あれば病院に到着します。なので2〜3時間は生きることだけを考えましょう。

病院到着
身体の状態がどうであっても「生きる!」と強く思いましょう。それ以外は考えなくてOKだと思います。必ず復帰してまた遊びにいくことだけを考えて治療を受けましょう。

まとめ
色々と自分の心に留めていることを書きましたが、これらが正解かどうかは知りません。しかし、「生きる」ことを望む限りその可能性はあると思います。
年齢的に大きな怪我や大きな病気は士気を下げます。なので事故も病気もない方が良いのですが、その一瞬は誰にでも可能性があります。医療にも限界があるでしょうし、運命のようなものがあるのならそれもどうしようもありません、が、本人が「生きる!」と強く思っていればそれらも超えていくでしょう。
人間は思ったことを実現する生き物なので、自分はその人間の持つ能力を信じています。

と、言うことで、骨は折れても心は折れていないので、また遊びましょうね。
どこかでこれを読んでくれた知らない貴方にもどこかで出会うかも知れません。その時は思い切り遊びましょう。