[勉強の時間 1/3] 憲法と主義


政治のお話です。
最近の政治の出来事はなんだかお粗末と言うか粗悪と言うか、
1つの時代の節目には必ず統治者のエゴが強くなりすぎ本文を忘れた政治が
行われるのが歴史から学ぶところです。

終わったことでも間違いであれば訂正し変更するのが議会の役目ですが、
日本議会は何故か自分の比を認めず変更もないまま時間だけが過ぎていく癖があるようです。

素人が政治を語るな!と言う方がいるのであれば、
ぜひ自分の代わりに税金を納めてください。そうすれば政治に一切触れません。
実は政治の1つ1つはそこに住む市民にはいつどんな時でも最重要課題なのです。

今回は、最近話題の
政権政党が目論む憲法改正とは何なのか?を基軸に色々書いてみます。
第1話 )憲法と主義
第2話 )国民投票
第3話 )  平和と戦争
の全3話です。

早速いきます。
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憲法とは
憲法とはその国のあり方を示す約束の文章です。
それは国民と諸外国へのメッセージとして深く受け止められます。
自国民にとっては絶対に守らなければいけないルールです。

例えば日本国憲法に「国家元首は天皇でありその責任は政府に依存する」とあったとしたら、
我々国民にとっては「まあ、当たり前と言えば当たり前よね」となるかも知れませんが、
諸外国は「天皇を守るために政府と日本国民は一丸となっている」と理解しても
仕方のない重要な文章が憲法なのです。

ちなみに「その責任は政府にある」なんて文言は絶対に無いのが
日本議会の性格です。この国の政治責任はいつでも議会以外にあるのがルールです。

憲法とは文言1つで世界が大きく反応するものなのです。
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諸外国の憲法
ごくごく簡単に極めて単純な言葉で諸外国の憲法を書いてみます。

日本国憲法 / 主に国民のあり方と議会と内閣のあり方を明記
アメリカ合衆国憲法 / 主に議会のあり方を明記
フランス国憲法 / 主に議会のあり方を明記
ドイツ共和国基本法/ 憲法を基本法と訳します。主に民主主義と自由の定義を明記。
中華人民共和国 / 民主主義国家、社会主義理念、人民の自由、主にこの3つを明記。
ワイマール憲法 / 国民主権を明記。議会内での平等を明記。経済改善への団結の自由を明記。

などなどです。
多くは議会のあり方を約束する条文ですが、
日本の憲法は少々特殊で国民のあり方も言及しています。
良くも悪くもこれにより今の日本国民の指針と言うものが根付いたと言えるでしょう。

中華人民共和国は馴染みのない社会主義国家ですが、
国自体は民主主義国家だと明記しています。
大まかに言うと中国では、
民主主義国家とはブルジョア階級の反発を許さず議会は全人民のためにあると言う意味で、
社会主義理念とは人民は全ては平等と言う意味で、
人民の自由とは議会(=国)を脅かす活動の制限の意味でした。

ワイマール憲法をおまけで書きましたが、今で言う民主主義と社会主義のちょうど中間の
ような憲法です。「最も民主主義を達成した憲法」とされていますが、
この憲法は第1次世界大戦後のドイツ(ワイマール共和国)で誕生した憲法です。
国の主権が独裁から国民になっただけでもビックニュースだったドイツなので、
今に当てはめて適当かどうかは疑問です。昔の素晴らしい思想と言った感想です。

アメリカ合衆国憲法では国民に制約を求める文言は少ないですし、
ドイツでは国民主権や労働の自由など民主主義に寄り添う文言が多いですし、
中華人民共和国憲法は3つの柱をそれぞれに関連付けて国家(議会)を運営しているのです。
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主義の違い
いつでも問題になるのが「主義」です。
社会主義に対するのは資本主義。独裁国家に対するのが民主主義です。
日本は民主主義で資本主義の国となります。

では中華人民共和国はどうか?と言えば、
憲法上では、社会主義の理念をもった民主主義国家です。
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社会主義理念の矛盾
社会主義の矛盾はスタートから起こりました。
社会主義の理念の根本は「全員平等!」です。
しかし統治する者がスタートから豪華だったのです。
人の欲や見栄を考えれば当たり前と言えば当たり前です。
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資本主義の矛盾
資本主義の目指すものは資本家が貧しい人に仕事を与え国民が平均的に豊かであることです。
が、しかし、国民が豊かになるとその理想は崩れました。
貧しい人が必要なのです。
貧しさを無くすための資本主義なのに貧しい人が必要だと言う矛盾があるのです。
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独裁主義と民主主義
独裁主義と聞けば聞こえは悪いでしょう。
ではその責任を考えましょう。
独裁主義国家のその責任は全て独裁者にある。民主主義はその責任は全て国民にある。
独裁者の命令で消費税率を上げた。国民総意の議会決定で消費税を上げた。
独裁者の命令で息子は戦争へ行き死んだ。国民総意の議会決定で息子は戦争へ行き死んだ。
どうでしょうか?
独裁国家と民主主義国家、どっちもどっちって感じがします。

我々日本人が海外旅行でお馴染みの憧れの国だって
未だに国家元首が他の国の白人の王族だったり、
一党独裁国家のビルの上のプールではしゃいだりしているのですから、
根本の部分では主義は関係ないと言えます。

その国民と世界が幸せであれば主義なんてなんだって良いんです。
しかし統治する者は自分の主義を正義だと主張する節があるのでどちらかに偏りがちです。
そしてその偏りに我々国民は安易に乗ります。
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憲法改正
現在の日本議会の統治政党は憲法改正を目論んでいます。
それを後押しする理屈の1つとして今の憲法はGHQの指針によって制作された憲法で
日本国民のあり方に背いていると言う説明があります。

ここで考えなければいけないのは、
日本国民に合った憲法は第二次世界大戦終了までにあった憲法が最新のものです。
その憲法で我々のじいさんばあさんは幸せだったのか?を考えないといけません。
国民の実際の暮らしを壊す憲法(教育や法律)だったからこそ、
世界大戦へとなったのだと自分は理解しています。

現在、第1条に明記されている天皇陛下の立場を示す言葉には「象徴」とあります。
曖昧な表現ですが世界の主要国家がそれでOKなのだからそれでOKなのです。
第9条では戦争の放棄が明記されています。
戦争の放棄の文言が「自国の防衛」に変わったら他国は「防衛する国」と認識します。
防衛基地をディフェンスオンリーと訳してくれればありがたいですが、
ミリタリーフォースやアーミーと解釈されたら日本の存在は変化するでしょう。

放棄であれば戦争の可能性はゼロに限りなく近いですが、
防衛に変わった瞬間からゼロでは無くなるでしょう。
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まとめ
少々個人的な意見も入りましたが、なるべくフラットな気持ちで書きました。
憲法は国(議会)からの諸外国と国民への約束であって、
国民の幸せを保証するものではありません。

なので、今が平均的に幸せならそれがベストです。
わざわざ壊す可能性を作る必要は無いと思ってます。

主権が国民にある国では国民が「嫌だ!」と言えばそれが国の意思なのですが、
なぜか議会の多数決が国民の総意になります。この矛盾は国民主権国家には憑き物です。

なんとなく正しくてなんとなく美しい言葉でテレビによく出る顔の方に賛成しがちですが、
厳しく正確に理解し未来をちゃんと想像しなければ
国民主権は本質の部分では皆無になります。
本質の部分で我々に主権が無いと言うことは民主主義の反対の意味と同義です。
主権は我々が尽力して守るべき主張なのです。

第2話へ続く。。。。