[勉強の時間]第二次世界大戦

8月中盤は勉強の時間をわざと続けましたが、
今日で一旦終わりです。

今日は日本においては終戦記念日(終戦の日)と言う祝日です。
正式には戦没者を追悼し平和を祈願する日です。

個人的にはそれ以上の犠牲者が出ない日になり、
戦争をしない国になった記念すべき日だと思います。
日本は平和ボケと言う間抜けな人もいますが、平和にボケているのではなく冴えているのです。なので、日本は平和冴え!が適当な言葉でしょう。

さて第二次世界大戦について書いてみます。
この出来事も実に複雑で細かなことまで書くにはここでは無理でした。
なので日本を中心に大まかに行きます。

早速いきます。
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前提条件
WW2(第二次世界大戦)は1939年に勃発したとされてます。
この時代の少し前まで侵略の時代です。どこもかしこも侵略戦争ばかりでした。
大国と言われる国は「もっと領土が欲しい〜!」「もっと植民地が欲しい〜」と
躍起になって領土を自分のものにしようとしてました。
WW2より少し前の時代背景がそもそもの間違いの始まりだと思います。

だいたい大人なら考えれば分かる話です。
東京都が大阪府を「東京都にしたい!」と思ってもなるわけないのです。
東京は東京です。大阪は大阪なのです。
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呼び名
当時の日本は大日本帝国と言います。帝国と付く国は事実上ほぼ共産国家か独裁国家です。
共和国と名のつく国は人種や思想や文化が異なるいくつかの勢力が1つになりそれを独占する勢力が必ずいたと言えます。
ハンガリー帝国も皇族による政治体制、
ドイツ共和国はご存知の通り民主主義を用いた独裁国家、
イタリア王国は名前の通り王族の政治体制、
ソビエト連邦の正式名称はロシアソビエト連邦共和国で4国(地域)の集合体で
ロシア社会主義政党が独裁する形になっていました。
大日本帝国は天皇を神とした統治国家でした。

事変と言う呼び名も日本ではお馴染みですが、
国内または国内近くの地域で起こった国家を揺るがす大事件を指すようです。
例えば満州事変は当時満州は日本の領土(作戦地域)と認識していたため満州戦争とは言いません。
日本では第二次世界事変とは言いません。
第二次世界大戦を日本では太平洋戦争と呼びます。
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イケイケ勢力
当時のイケイケ勢力は大国の中ではドイツと日本の2国だけです。
当時の大国のほとんどが勢力地を伸ばし切ってその維持費を模索する場面でした。
植民地と言われる地域が貧しかったのは大国の支配下にあったのに
維持費が賄えなかったことから起こったことでした。
やるだけやって後は見捨てるパターンの大悪党がやる悪しき馬鹿さ加減です。

WW2は時代に乗り遅れたドイツと日本が中心(?)となるのです。
バカの背中を時代遅れが追いかける最も滑稽な様相です。
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戦争勃発!
WW2の解説は実に複雑です。
細かいことは無しで年表にまとめてみました。
と言う流れです。

ドイツ(帝国主義)の侵略戦争だったのですが
結末は帝国主義の世界制覇とは縁遠いものになりました。
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きっかけ
WW2のきっかけとされているのが、ドイツのポーランド侵攻です。
ポーランド王国(共和国)はすでにイギリスとフランスの支配下にありました。
位置的にドイツの隣なのですが、政治的には許せない行為です。
それに対しイギリスとフランスがドイツに宣戦布告をしました。
ここがややこしいのですが、
ドイツが勝手に自分の庭に入ってきて庭を無茶苦茶にしたから、持ち主のイギリスとフランスがドイツに向かって「お前、ボコボコにしてやんよ!土下座しても許さねーからな!」と言った感じです。どっちもどっちって感じです。
この時点で正式な会談を開けば歴史は変わっていたでしょう。
独ソ戦
ドイツは対イギリスフランス以外にも戦争(侵攻)を始めます。
ドイツがめちゃめちゃ強い軍隊であったがために、ソビエトへの侵攻を企ててしまいます。
しかし、ソビエト西側の諸国も黙ってはいません。
イギリスとフランスの意味とは別枠でソビエトを筆頭に戦争が始まるのです。
ここでも戦争が起こり1941年にWW2とごちゃ混ぜになるのです。
日中戦争
時をほぼ同じくして場所を離れアジアでも戦争が連発してました。その1つが日中戦争です。
この当時、中国は中華民国です。
こちらも簡単に言うと日本の侵略戦争です。
この日中戦争の場面ではWW2とは少し離れた意味の戦争でした。
しかしそれが1940年にごちゃ混ぜになります。
日本にとってWW2参加はこのごちゃ混ぜのタイミングからになります。
ちなみに日本ばかりが侵略国家と言われますが、この時代どこの大国でも侵略を目論んでいたので、「実際に軍力で制圧に乗り出した」のが日本でした。先手を打った国が日本であって、
時代に照らし合わせればどこの大国も似たり寄ったりです。
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終戦の臭いと終戦
ドイツと日本が気が付いた時にはドイツ日本vs他の国々になってました。
完全に負けムードが漂う中、両国の思想の違い(?)からか終戦への形は違いを見せます。

ドイツでは1945年4月にヒトラーが自殺します。
このことがきっかけかどうかは分かりませんがナチ党は主導権を新たな指導者に渡し、
そして各国との会談により降伏する運びになるのです。
この時にドイツは戦勝国4カ国の分割占領下となりソ連の占領下としてベルリン市は
閉鎖されベルリンの壁が建設されます。

日本ではヒトラーの自殺を軽蔑する思想がありました。
ご存知の通り日本は天皇陛下(神)と共に生き神と共に死ぬ思想でした。
負けて上等それが本望と言う強い信念があったことになってますが実際は眉唾です。
ドイツが降伏した時点で日本vs世界全部の大戦です。
原爆投下の真意は分かりませんが時を同じくしてポツダム宣言を受諾するのです。
戦勝国の条件との相違は、日本側は「降伏ではなく停戦」と言うことで受諾します。
後に憲法が改正されこの停戦は2度と再戦することがなくなるのです。
とは言え画像↑に示した通り日本とドイツはボコボコにされます。
有名な戦場または有名な攻撃だけを記したので、他にもまだあるでしょう。
そして1番初めの年表にチームわけをして見たのですが後半はボコボコにされるのが
見なくても分かる多勢に無勢となります。
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戦勝国
主要戦勝国の中の大国4カ国はイギリスフランスソ連アメリカのうち、
イギリスフランスアメリカは前節に書いたように植民地の経費に困っていました。
WW2がここまで大きくなると予想していたかどうかは分かりませんが、
戦勝国は敗戦国から罰金を取れるのです。その罰金は実際のお金であったり、領土であったり、これからの条約の優位性であったり、色々ですが、
経費不足の国にとっては、してやったりでしょう。

ちなみに、当たり前ですが、この戦勝で領土を欲しがる国は無かったそうです。
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敗戦国
侵略戦争から始まったWW2ですが、結果的にドイツは完全降伏、
日本は一部の植民地をそのままに敗戦となります。

ドイツではその領土は東(ベルリン市の一部)と西(その他のドイツ)に分断されます。
日本では中国の一部、フィリピンを含む東南アジアの一部が日本の領土となります。
領土を維持したかった日本はこの時にすでに時代遅れだったかも知れません。
しかしそのどちらも国際会議や時代の流れに抗うことができず、
今の世界地図になるのです。
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まとめ
結局、会議で決まるなら初めから会議で決めれば良い!と強く思います。
WW2自体はイギリスフランス対ドイツのお話で終われる話なのに大きな被害になったのです。
誰が悪いわけでもありません。全員バカだったのです。
戦争を勃発させ参加した全ての人が愚か者です。
参加国の末裔である我々はバカの血を受け継いだ者たちですがバカを露呈することを2度としてはいけません。

個人的に思うのは、
本当のところは分かりませんが自分には天皇陛下自身が戦争を推進したとは思えないのです。
天皇陛下を取り巻く多くの誰かが戦争に加担した気がしてなりません。
そしてその予想が当たっているなら、加担した者の末裔が今の政治を行なっています。

極めて簡単な投稿でしたがそれでも長文になりました。
ぜひご自分で歴史を学んでご自分の意見を持って戦争に反対してください。
戦争に賛成する方は反対する方を巻き込まないで個人個人だけの実践としていただくことを
強くお願いして今回の[勉強の時間]は終わりにしたいと思います。