[おまけのおまけ]その思想にまだ名前はない
このお話の最初は4日前の投稿までさかのぼってください。
今まさに価値観が劇的に変わっている時だと実感しているでしょうか。
分かりやすく例えるなら皆さん大好き坂本龍馬。
坂本龍馬が明治維新の立役者と分かったのは1971年に新聞記者が史述から坂本龍馬の名前を見つけたところに始まります。逆を言えばそれまで坂本龍馬と言う人物は歴史にはいなかったのです。坂本龍馬が1853年に黒船を目撃したところから徳川幕府への不信感が確定していきます。1868年無血開城と共に明治政府が設立するまでの15年の時間を時代が劇的に変わったと言うのです。これに分かるように時代は1秒では変わらないのです。
そして坂本龍馬が当時活躍していたそのときを劇的に時代が変わっている瞬間と後に呼ぶことになるのです。
ちなみに坂本龍馬と言う後の記録の人物の正体は岩崎弥太郎の何らかのダブル(影武者)ではなかったかと思ってます。
話を戻して。
今まさに時代は劇的に変わっているのです。
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今この時の時代
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今の時代を掻い摘んで言うと、
経済主義、資本主義、比較しての勝敗、皆が同じ幸せを求めている、お金がまだまだ必要、
流通の不明確、生産数向上だけを目指す、消費を競い合う、などなど思い当たるところもあると思います。
これらが良いか悪いかの話ではなくそう言う時代と言う意味です。
しかし、それらに飽き飽きしているのも事実でしょう。
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その思想にまだ名前はない
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飽き飽きしている設定に今までは何とか自分を合わせてきましたが、
それさえも覆し新たな考えで豊に暮らしている人たちが世界で極わずかですがいるのです。
その事実はネットを駆け巡り話題になり、、、、そして検索に引っかかりにくくなりました。
その考え方とは、あえて言うのであれば、
スローライフ、ナチュラルステップが提唱する4つのシステム条件、ローカリゼーション、
これらが当てはまるかも知れませんが、その思想で暮らす方々はそれらさえも無視しています。セミリタイヤとは全く違います。
スローライフと言えば取材がきて雑誌に載りそれを見た誰かがそれと比べるでしょう。
ナチュラルステップが提唱する4つのシステム条件と言えばシステムの一部として見られます。
ローカリゼーションと言えば地方都市や田舎町の発展に貢献することになるかも知れません。
セミリタイヤと言うまでもなく、初めからリタイヤしている訳でもなくお金を作るためにハゲ散らかしていた訳でもないのです。初めから自分の幸せを自分で決めます。
それは一般的な社会の幸せを求めない暮らしかも知れません。その個人の幸せをその個人が求めるものです。その個人が幸せに暮らせる環境をその個人が決める暮らしなのです。
100人いれば100人とも違うのです。
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その内容は
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1つの定義では収まらないのですが、あえて言うのであれば、
近所のスーパーに行くだけのために車は要らず自転車を選び、年に一度くらいしか無いパーティー用のドレスは1着だけ持ち、釣りが趣味なら釣った魚を近所の農家で野菜と交換してもらい、家は家族の人数に合わせた賃貸に住み、衣類は毎日の生活に必要なものだけを持ち、高価な代物と言えば毎朝海に出るサーフボードくらい。仕事は住まいの近くで家族が暮らせるだけの賃金をもらい、その数%は必ず貯金し、その貯金は家族のお祝いの時にだけ使う。
今の我々からしたら、果てしなく羨ましい暮らしです。
しかし、少し前の我々からしたら貧乏くさいでしょう。
これが最も新しい考え方で暮らしを実際に築いているのですが、その考え方にまだ名前はありません。
都会の夜に1杯1200円のカクテルを飲み高級外車で出迎えがきて高層マンションに帰宅し窓からこぼれる日差しで目を覚ましながらコーヒーを飲み干す前にパソコンを開きスケジュールをチェックしシャワーを浴び今日着るスーツをクローゼットから選び、忙しさを自分の豊さへとつなげるために毎日、、、、、、、、では無いのです。
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新しい思想では困る人たち
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もしこの新しい考え方が定着したら困る人たちが大勢います。
経済発展など皆無です、資本主義の終わりかも知れません、生産数向上も過度に必要ありません、道路や橋もこれ以上は要りません、鉄道も活躍できないかも知れません、
まるで令和のまま江戸時代になったかのようです。
しかし江戸時代のようになっても実際は誰も困らないでしょう。
その時代その時代に人は必ず順応していきます。
唯一困る人がいるとしたら、例えば日本のシステムを作り上げている人たちでしょう。
もっと経済発展を、もっと消費を、もっと輸出入を、と今の思想のまま永遠を求める人には困った出来事です。
しかし、時代には抗えないのです、そして坂本龍馬のようにいつでも劇的に変わる時代は少数の人たち始まります。
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おまけのおまけのまとめ
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まだ名前のないこの思想の暮らし方さえも経済主義の一部として取り入れようとするのが経済主義でしょう。
今まさに、経済主義vs名もなき思想、資本主義vs名もなき思想、スローライフと言う売り上げ向上vs名もなき思想、ナチュラルステップvs名もなき思想、ローカリゼーションvs名もなき思想なのかも知れません。
いつの時代でも新しい考え方は受け入れるのに時間がかかります。
「伊藤博文、、、、、誰ぇぇ〜〜?」だったでしょう。
「横浜にガス塔、、、、、って何ぃぃ???」だったでしょう。
「廃藩置県、、、、え?俺って何藩になるの?」だったでしょう。
それと同じです。新しい考え方はいつでも「いつの間にか」です。
自分で自分の幸せを決めるのはとても難しいことですが、徳川幕府落城と比べたら楽勝だと思います。
そしてこの思想が一般的になった時に税金(社会制度)が全て見直す羽目になるのは誰の目にも見えています。それを食い止めたい人たちとの戦いなのかも知れません。
しかしその思想の持ち主たちはそれさえも何かの戦いだとは思わずに自分が決めた幸せのために生きていることでしょう。
その思想にまだ名前はないのです。