政治に意見を持つことが罪なら民主主義を名乗るのなんか辞めちまえよ


3月と8月は日本人にとって重要な月ではないでしょうか?

8月。潜在的に「戦争は良くない」と思ってはいました。
3月。自分は311の原発事件がきっかけで大いなる疑問を政治と言うものに持つことになりました。原子力開発と軍需産業は自系列で繋がっています。
以前から政治に不穏を抱えてはいましたが、具体的な深い興味は
311の原発事件がきっかけと言わざるおえません。
原爆投下も原発事故も国民の許可があっても無くても実際は政治家が計画した成れの果てです。政治家の計画を根本から無力化することができないのが事実でしょう。

日本に生まれて本当に良かったと心から思うようになったのは世界と政治を知ってからです。しかし、考えることをやめたハートのないハニワフェイスには成りたくないので
平和を強く願い日本式民主主義を謎解きます。

国家の主義ってなんなんだ

わざわざ言いませんが聞かれれば
311以来、民主主義を良いと思ったことは一度もありません。
それを言うとほとんどの答えが「共産主義が良いの?まさか独裁国家?」と
言ったようなことを返されることが多くです。
誰かの何かに統治されることが大前提なのを、なぜ疑わないのでしょうか。
日本式民主主義は第一等政党に統治され、天皇陛下が外交の盾になってくれてます。
この仕組みは天才的だと思います。が、もう通用しない時代になるでしょうね。

誰かに統治されることが嬉しいなら何も言うことはありませんが、
誰かに統治されなければ清潔が保てないなら、
それは統治者の問題ではなく、多くの自分自身たちの問題です。

民主主義が良いなら民主主義に従おう

政治の決定に何かの意見(反発の意見)を言えば
「政治に文句があるなら政治家になれ !」と言われたことってありませんか?
自分はけっこうあります。

政治の決定に従順になり自分の意見を持たない言いなり人形になる宣言が「政治に文句があるなら政治家になれ!」だと思ってます。
自分は言いなり人形になっていたとしても自分でそれを言うような生き方はしたくないので同じ陳列棚に並べないでください。

国民が堂々と意見を口にできないことを民主主義とは言いません。

民主主義の定義

だって民主主義に統治されてるんだから、自分は民主主義に相応してます。
「政治家でもないのに政治に反対意見を言うな!」こそ、反民主主義です。

民主主義の定義に「人民が主権を持ち自らの手で自らのために政治を行う立場。人民が自らの自由と平等を保証する生き方」とあります。
「主権を持ち」とは選挙と個人の権利です。「立場」とは政治家とそれを選んだ国民です。自由と平等を保証してもらわなければ定義違反です。

日本国憲法前文においても戦争の惨禍(さんか)が再び起こらないことを決意しています。同文に恐怖と欠乏(けつぼう)から逃れることと平和を愛することが天皇陛下を筆頭に総理大臣を含む国民全員が名誉にかけて達成することを明記しています。
日本国憲法はこちら→衆議院 国会関係法規 日本国憲法

そもそも憲法とは統治者や権力者が守るルールです。憲法の場合ルールでは無く一定のモラルを記載しています。その意義がルールとなり憲法となります。憲法に記載があると言うことはルール違反をする者がいるから取り決めているのです。憲法第一条だって破る可能性が微塵にもあるということです。

民主主義において個人の意見を言い、それを熱望できないなんて矛盾の究極です。

ルールを破っているのは自分ですか?それとも政治家ですか?日本式民主主義の名誉にかけて自分の意見を堂々と言うのは真っ当なことです。政治に反対する意見を咎(とが)める方は民主主義のルールに反しています。

脱線主義

日本式民主主義はすでに民主主義の定義を逸脱しているのは
誰の目にも分かることでしょう。
脱線主義に改名すれば良いのにと思ったりもします。

日本式民主主義の終わりの鐘が聞こえているのは自分だけでは無いと思っています。
変わることを恐れる政治家が使う手として戦争を理由に奮起しそれらしい理由を声高らかに言い放ちます。その手に乗るのは間違いです。

理由があるから戦争に賛成する能無し国民になるのだけは避けましょう。
戦争ほど醜く残虐な行いは無いでしょう。
日本と友達国家はアホ息子が大統領になりそれらしい理由を声高らかに言い放ち多くの国民は納得をしました。
そのせいで同国民とイラク国民の多くが死にました。
納得をした友達国家の国民はその後に自分の納得の間抜け面を知ったことでしょう。

以前の戦争反対の投稿はこちら→戦争反対


研究者や開発者を馬鹿にするのはやめましょう

今まで世界中の暮らしのほとんどは軍需産業のお下がりで成り立っています。
スマホも車も、丈夫な洋服もほとんどが戦争のために開発された品々です。
その中でも原子力開発だけは戦争にしか使われない代物です。
電気と原発を同レベルで思っているならそれは無知です。
無知は恐怖を生みます。恐怖は人を弱くします。学ぶしかありません。

「戦争がなければ日本は豊かにならなかった」とズバ抜けて間抜けなことを言う方がいますが、それこそ資本主義や民主主義を馬鹿にしています。
政治が戦争に頼るしかない実力だから戦争で発展したんです。戦争以外に頼れる知恵と努力があれば戦争は起こりません。そして発展は研究者や開発者が指揮をとり精進した代物です。
政治が戦争に頼らず他の利用方法のアイデアを持っていれば研究者や開発者は寝る間も惜しんで尽力しますよ。
発展に戦争は関係ないです。アイデア不足の政治家がそこにいたと言うだけです。


民主主義でも独裁国家でも戦争をやるのだから主義は関係ない

日本政治において戦争参加または軍の設立があったとしたら、我々は完全拒否をすることが重要です。戦争参加ゼロの可能性を目指さなければいけません。
それが民主主義に従う反論です。
もしそれが罪というなら民主主義の本意は幻だったと言うことです。罪に問うなら民主主義を声高らかに統治した人たちを詐欺罪で裁くのが先だと思いますけどね。

戦争をやっても何も生まれません。せいぜい憎しみとトラブルが生まれ解決するために実力不足の政治家を神輿にあげるか被害者か時代遅れの軍隊マーチ好きの政治家が本の出版をするくらいです。
我々に残るのは枯れ果てた涙だけです。

以前書いた#お金の話のおまけにも書きましたが、夢を叶えるために絶対にやってはいけないのが戦争です。

主義を守るならその主義をちゃんとやろう。
戦争反対!