[バイクの話]俺たちの80年代
6月にサーキットを走り、同月にレースを初めて見学に行き、
そしてこの投稿は7月の頭に書いてます。
一言で言うなら「走りたい!」です。気持ちが口から溢れそうです。
この情熱の篝火(かがりび)は「俺たちが興奮したあの80年代」でしょう。
何と言えば良いのか分かりませんが、
カミナリ族でも暴走族でもイージーライダーでも無く、日本で初めてバイクがテレビに登場した80年代。
初めて観るプロライダーに少年は胸を躍らせました。
思い出話も混ぜながら、そんな「俺たちの80年代」を書いてみます。
早速いきます。
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時代背景
市販車両の排気量規制の輸入緩和の影響を受けて
小排気量から大排気量へ移り変わるタイミングでした。
250ccがメインだったサーキットから500ccへと移り変わり、
あれよあれよと言うまに750ccが主流となったのがこの時です。
日本全体は豊かさをようやく手に入れかけていましたが
けたたましく荒ぶれた港町に住む少年たちは貧しく隙間をぬい悪さを考え、
また隙間をぬい良い子供にもなり、何に情熱を傾ければ良いのか分からないままでした。
そんな時、テレビに映ったののが鈴鹿8耐。
興奮しました。
噂では知っていましたが初めて観るプロライダーです。
しかし時代の波とも言える学歴社会に飲み込まれるのです。
大人になった今、学歴社会の波に飲み込まれたのが良かったのか悪かったのかは
分かりませんが、バイクへの憧れが今でもあるのは、
そんな否応もない時代を過ごしたからかも知れません。
いくらバイトしても新車など買えるわけもなく、まして750ccは夢の世界のお話でした。
それでもこのバイクムーブメントをなんとか乗りこなしたいという気持ちに答えるように
メーカーからは500ccや750ccのバイクを250ccで発売し
バイクムーブメントの熱に更なる薪をくべるのです。
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憧れのロスマンズカラー
憧れに理由なんか必要ありませんでした。
なぜだかホンダロスマンズに憧れました。
当時ホンダが主力にしていたのがNSR。
今ではあまり見かけませんが、NSRの存在からCBRへと移り変わるのです。
CBRでもロスマンズカラーは圧倒的な存在感を放っていました。
NSR250の詳しい情報はこちら→グーバイク ホンダ渾身の2ストレプリカ
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抱きしめたいほどにカッコいいウォーターウルフ
通称ガンマ。
RG250(500)Γは見たことあるのですが、ウォーターウルフ仕様は実車を生で見たことないです。
ウォーターウルフを雑誌で見た時はビビりました。
カッコ良すぎてどうしていいか分からないほどでした。
SUZUKI独自のセンスで作られたガンマですが、今でもそのセンスはGSXに継承されています。
RG250ガンマのクチコミレヴューはこちら→Webike RG250ガンマレビューインプレ
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俺たちのヤマハ!
下関で暮らす少年たちは鈴鹿8耐の日にはテレビの前に集合しました。
平忠彦の勇姿に踊る胸は狂喜乱舞することを簡単に許します。
ヤマハのバイクヒストリーはとてもややこしいのですが、
平忠彦の乗っていたのはYZF750(OWシリーズ)でその後にケニーロバーツが乗ったのがFZR。
FZRをレース用に改造したのがOWシリーズと言う具合に、
OWシリーズはFZRとYZFの両方でいつでも並行して開発されているのです、、、、
が、少年たちにはそんなのはどうでも良いことでした。
市販された初めてのレーサーレプリカはTZR。
初めて見た時の興奮は未だにこの胸にあります。
ストロボカラーの迫力を言葉にすることができなかった少年は時を経て、
FZRのストロボカラーに乗っています。
TZR250のイカした写真はこちら→Webオートバイ TZR250
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俺たちの80年代年表
今になって紐解いたのですが、ロスマンズ、ウオーターウルフ、って何?の答えです。
ロスマンズはタバコビールメーカーでレースのスポンサーとなりチームのスポンサーです。
ホンダは当時HRCとロスマンズホンダの2つで参戦していました。
圧倒的な存在感と強さを持ったワインガードナーの走りが合間ってロスマンズホンダが
ホンダ人気の火付け役となります。
ロスマンスと言うのが日本の通称の呼び名ですが正式にはロスマンズでした。
ウォーターウルフが人の名前だったのには驚きです。ガンマのウォーターウルフ仕様は
ウォーターウルフさんの出費で制作されたバイクです。もしかしたらスペックも違うかも知れません。ウォーターウルフさんは後にF1にも出費しF1でもチームを作っています。
TZRは市販車として一世を風靡したのは言うまでもないのですが、
TECH21の影響が大きかったのが事実です。
YAMAHAもチームとして参戦した時にはYAMAHAレーシングとYAMAHA TECH21の2つで
参戦していました。
平忠彦のカリスマ性や2年連続の優勝目前でのリタイヤなど絵になる現実でファンのみならず
全てのバイクファンのハートを鷲掴みにしました。
個人的に覚えているのは鈴鹿8耐でトップ独走にも関わらず
最終ラップ最終コーナー手前ででエンジンストップ!
最終コーナーを平がバイクを押しながらチェッカーを目指す姿はよく覚えています。
結果的にランキングには入れませんでしたが、ランキング入りよりも大きな感動がありました。
下関で暮らす3人の少年たちの胸に「俺たちのYAMAHA」が出来上がった瞬間でした。
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まとめ
このパターンの話を書き出すと止まらないのでこの辺にしておきます。
今回は「走りたい!」と言う気持ちを思い出にすがりながらぶつけてみました。
ここで挙げたバイクは250ccにも関わらずどれも2ストなので基本的にどれもパワーがあり恐ろしいほど速いです。
その逆に乗りこなせない場面もあるでしょう。
今で言えば250ccですが500ccくらいの感じだと思います。
峠道であればボディが小さい分、スパルタンでトリッキーな操作もできるでしょう。
走る場所のベストはサーキットなのは間違い無いです。
しかしキャブ車で単純機能なのでインジェクションの電子制御に慣れている方は
難しいバイクかも知れません。
バイクに憧れて生きてこれて幸せです。
写真は、Goobike、Webike、Webオートバイからいただきました。
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