[ノベル]ライダーズオペレーション/ep3/リスキーホスピタル
「はじめまして、神楽本さん。整形外科の小田祐太郎です。どうしました?」
翌日、神楽本が来た東京の病院は家から歩いても20分にある慈永体大学病院だった。紹介状無しで初診を受け入れてくれる大学病院は少ないが慈永体大学病院は紹介状無しで診察をしてくれる病院だ。そもそも大学病院は臨床と結果を繰り返し積み重ね医療発展のためにある施設だ。臨床と結果を積み重ねるには患者が必要なのは言うまでも無いが、患者は病院経営にとってはお客さまであると共に新たな大学病院としての臨床を積み重ねる存在だ。その逆に大学病院での医療ミスは絶対に許されない。医療行為の充実は当然だが町医者や私営病院とは根本の目的が違うので失敗する医師は大学病院にはいらないのだ。成功してこその臨床の結果と済み重ねになると定義つけられている。しかし神楽本はそんなことはどうでも良くて近所と言うことが最大の魅力なのだ。
「はい。昨日、バイクで事故りまして、、、、高崎中央病院から、、、」
「えーっと、今日は歩いてと言うかご自宅から?紹介状は無し、、、では、、、、、レントゲンからですね」
小田は神楽本よりだいぶ若い医者だ。少しふくよかな身体付きで身長は高く髪の毛は軽く茶色に染まっている。そんな容姿よりも気になったのは挨拶の他は神楽本の方を一度も見ないでカルテとモニターしか見ないのが気になった。
「じゃ、、これ持ってレントゲンに、、、、それが終わったら、MRIに行ってください」
「、、、、、はぁ、、、」
診察室を出たのは良いがレントゲンの部屋がどこにあるかが分からない。エントランスの受付で聞くとレントゲンは2階だと言う。
「案内しましょうか?」
「いえ、大丈夫です。エレベーターとかありますか?」
「あ、エレベーターは、真ん中のエレベーターで上がって出たら右側の直ぐの廊下です」
「ありがとうございます」
エレベーターを出たら目の前に「レントゲンは右」とデカデカと書いてあったのですぐに分かった。受付表を出すとすぐに呼ばれた。
「神楽本さーん、、、」
「は、はい、、、」
部屋に入りながら注意事項と確認を放射線科医の女性がシステマチックに始めた。
「えーっと右肩ですね、、、お名前と生年月日を言ってください」
「神楽本 優、、、昭和47年、、、」
「はい、、、じゃあ、あ、洋服は脱がないでいいので、、、、ネックレスや金属は身に付けてませんね、、、、あ、、、そのサポーター、、鎖骨サポーター、外してください」
「あの、、、」
「え?」
「これ、1人では外せない仕組みで、、、」
「ああああ、そうですね、じゃあ、後ろ向いて」
放射線科医の女性が背中のマジックテープを外すと肩と胸の締め付けが一気に楽になった。女性がブラジャーを外す気持ちとはこんな感じなのだろうかと神楽本の口元がいやらしく緩んだ。
「はぁ、、、、楽、、、」
「じゃあ、前向いて、、もうちょと、右に、、、」
放射線科医の女性が神楽本の両肩を持ってずらした。
「あ、、、痛、、、痛、、」
「あ、ごめんなさい、肩よね、そりゃ痛いですよね」
「ええ、、、」
「じゃあ、撮ります。息を大きく吸ってください」
「、、、、、、、」
「はい、終わりでーす」
「準備が出来たら受付でお待ちください。慌てなくて良いですよ」
病院にサービスを求めるわけではないが素っ気のないのも問題かも知れない。サービスを求めると病院っぽくないし、しかし素っ気のないのも、、、、、と堂々巡りになる。病院とは難しい存在なのだろう。
「神楽本さーん、、、」
「はい」
「じゃあ、次はMRIなので、地下1階ですね。ここの奥、奥のエレベーターで出たら自動販売機があるんで、左手がMRIです」
「あ、はい、、、」
地下に降りるとまたもやデカデカとMRIと書いてあるので説明は要らなかった。
「あの、、、ここ、MRIに、、、」
「えーっと、、、、」
受付表を見るとMRI受付の女性が扉を開けた。
「神楽本さん、じゃあ、中に」
「はい、、」
「どうぞー、、、」
「入ったら座って待っててください」
「はい」
部屋を入るとMRI担当医らしき女性医師がモニターを見ながら何やら作業をしていた。座って待つように言われたが椅子が無い。
「えーっと、、、MRIに座って良いものか、、、」
なんとなく女性医師を覗くとまだこちらに来そうに無い。
「座ってみるか、、、いや、、、MRIの、、、このベットはまずいよな、、、」
腰掛けようかどうしようかなソワソワしていると扉が開いてモニターを見ていた女性医師が入ってきた。
「お待たせしました」
美人だ。だいぶ美人だ。驚くほどの美人だ。少しだけロマンスを期待するのは男なんてそんなもんだと言うことで納得してもらうしか無いのだ。
「あ、はい、、、あ、、、」
座りかけた腰を上げ立ち上がった。
「あ、座って良いですよ」
「え、、、あ、、、はい」
「名前と生年月日を、、、」
「カグモト、、ユウ、、神楽本優、昭和47年、、、」
「はい、OKですよ。ネックレスはしてませんね。えーっと、、、右肩と、、、、お腹とかは痛く無いですか?」
「あ、右横腹が、、少し」
「じゃあ、ついでに撮っておきましょう。じゃあ、手を伸ばして頭の上に、、、、そうです、足に錘(おもり)を乗せますよ、、、両手をもう少し、こう、、、真っ直ぐに」
美人女性医師が神楽本の両腕を伸ばすと女性医師の胸元が目の前を通過して行った。良い匂いだ。
「あ、、、あああ、、、」
「大丈夫ですか、、、じゃあ、、目を閉じた方が、、楽な方もいますので、、、、開けてても問題ありませんから」
「、、、、はい、、、目を開けたままの方が好みです」
「え?」
「あ、いや、はい、、、」
「じゃあ動かしまーす」
何かが回転し出しベットが動き出した。わずか1分で撮影は終わった。
「じゃあ、これ持って整形外科に。お大事に」
「はい」
わずか1分のロマンスはここで終わりだがワクワクするようなボーナスステージは何にでも必要だ。整形外科の受付に戻るとすぐに名前が呼ばれた。
「神楽本さん、2番に」
「はい」
「えーっと、こちらがレントゲンです。折れてますね」
「はい、、、それは昨日から」
「で、どうしますか?」
「どうしますか?とは?」
「鎖骨ってこのままでも元に戻るんで、、、、わざわざ手術をすることも無いかと、、、」
「え、でも、この折れ曲がったまま、、、何ヶ月ですか?」
「それは、、、半年の人もいれば1年の人も、、、」
「ほったらかし?」
「鎖骨サポーターを付けて通院となります」
「いや、だから、鎖骨サポーターを付けて放ったらかし?」
「ですから、鎖骨サポーターを付けて通院してもらいます」
「いや、、、その、、、」
目の前の小田と言う医師は人の話を聞く気があるのかそれともこれが鎖骨骨折のスタンダードな診断なのか、初めて鎖骨を折った患者としては不安がよぎる。
「あの、手術の場合は?」
「手術だと、、、、2泊3日入院で、その後にリハビリ、、、リハビリは希望者だけですが、半年は通院してもらうことになります」
「痛みは?、、、手術の後の痛みとか」
「手術直後1週間は痛いかも知れませんが、その後は、経過を見守る、、、、、と言ったところでししょうか、、、」
「早く完治するのはどっちですか?」
「完治の早さはお約束出来ませんが、かなりの方が鎖骨サポーターで過ごされてますね。まぁ、手術は患者さんの希望ですから」
「ですから、完治と言うか回復はどっちが早いんですか?」
「どちらも回復するためにやってますから、早さを比べるのは僕には判断出来ないところです」
「、、、、、、、」
神楽本は心の中で「ダメだ、こいつ」と思った。こんなことなら高崎の病院でお金がかかったとしても紹介状を書いてもらえば良かった。少し遠くにはなるが電車で2つ目の駅にも有名な大学病院があった。そこならこんなまどろっこしい会話をしなくて済んだかも知れない。
「じゃあ、手術で」
「え?」
「ですから、手術で」
「分かりました。患者さんの希望で有れば、、、、、じゃあ、予定は、、、いつ頃が良いですか?」
「いつ頃?」
「希望の日にちで手術の予定を押さえますから。神楽本さんにも都合があるでしょうから」
「、、、、、、一番早くていつになりますか?」
「来週の月曜日ですかね、、12月27日の日曜日に入院で28日に手術、29日退院、、、」
「じゃあ、それで、、、来週の月曜日で」
「え?」
「え?ってなんでですか?」
「いえ、月曜日だと日曜日の入院になりますけど」
「良いですよ」
「いえ、、、、僕が日曜日休みなので、、、」
「病院の受付もお休みなんですか?」
「病院はやってます」
「、、、、、何か、問題でも?」
「いえ、僕が日曜日、休みなので、、、、それに年末ですよ、、、」
「、、、、、、年末とか関係あるんですか?入院出来ないんですか?」
「出来ますよ、、、、」
「じゃあ、日曜日入院で」
「、、、、、分かりました」
神楽本はわりと温厚な性格でどちらかと言うと相手にイラつくこともあまり無いのだが小田医師のこの面倒くさい対応は流石にイラついた。しかし怒るわけにもいかないし怒る意味もないのでそれ以上は口を出さなかった。
「じゃあ、受付で入院の説明と手術の事前検査を聞いてください」
「、、、、はい。ありがとうございました」
2号室を出ると肩の痛みに加えてドッと疲れが出た。あの小田医師が執刀するのかどうかを聞くのを忘れていた。不安はないが不安があると言う矛盾な気分だ。この気分を患者としてどう受け止めれば良いのか。
「神楽本さん、じゃあ、入院の説明と当日の事前検査を言いますので、確認しながら聞いてください」
お姉さんと言うよりかはおばちゃんと言った感じのナースが神楽本のそばに来た。
「あ、どうも」
「まず、アレルギーはありませんね?」
「はい」
「今飲んでる薬や他の病院などでの治療はありますか?」
「無いです」
入院したことがある人なら聞いたことのあるような質問が続き、手術のリスクについての説明があった。しかし慈永体大学病院ほどの病院が鎖骨骨折改善の手術くらいせでリスクがあって良いのだろうかと思ってしまう。心臓の移植手術や世界初症例の大手術ならまだしも医師が軽症と判断する鎖骨骨折で万が一の失敗があったらそれはリスクではなく医師の実力なのでは無いだろうか。
「あの、、、」
「はい?」
「リスクは全部OKで良いです。万が一が起こったらその時に考えるので。リスクがある手術をしなければいけないことは分かってますが、、、、、そのリスクを回避するのが病院の仕事なので、今考えても仕方が無いことは今はオールOKで良いです」
「まぁ、、、今回は鎖骨なので麻酔から数えて2時間程度の手術になります」
「はい。よろしくお願いします」
「じゃあ、麻酔科医に行きましょう」
「あ、、、、それは?」
「問診です」
「あ、なるほど」
エレベーターで2階に登ると内科診療の前を通り奥に麻酔科医の部屋があった。取手もノブも無い自動ドアの横に「フット」と書いてある穴がある。ナースが足の先を入れるとドアが開いた。
「おおおお、、、そう言う仕組み!」
「ええ、奥が手術室になっているのでなるべく出入りを少なくしたいんです」
「、、、、あの、、」
「はい?」
「俺もやって良いですか?」
「え?」
「その、、、、フットに足を入れてみて良いですか?」
「は?、、、、、まったく、、、一回だけですよ」
「はい!」
自動ドアを一度閉めドキドキしながらフットに足先を入れた。当たり前だが自動ドアが開く。
「おおおおおお!」
「神楽本さん、、、入って、早く」
「あ、すみません」
そそくさと中へ入ると正面に麻酔科医らしき男が白衣を着てデスクに座っていた。丸メガネをして無精髭に白髪が混じった老人にも見えたが見方によれば50か60くらいそこそこの男にも見える。丸メガネは細目でモニターを見ていることから目は悪そうだ。
「お願いします」
「あああ、、、えーっと、神楽本さん?」
「はい、、、」
「手術の経験は?」
「以前一度」
「ほー、、、その時も慈永体大学で手術を?」
「いえ、その時は、奥沢にある、、、大岡山王大学病院で」
「あー、、、そう、どこを手術したのかな?」
「右足を骨折して」
「事故?」
「はい、、、バイクで、、」
「お!今回もバイクだと聞いてますが、、、」
「はぁ、、、」
「懲りないねー、、、何に乗ってるの?」
「え?」
「バイクですよ、バイク」
「YZF -R1です」
「R1かぁぁ、、、」
麻酔科医の嬉しそうな顔に神楽本も嬉しくなった。この笑顔はバイクに乗っている人かまたは昔乗っていた人に違いない。
「バイク乗ってるんですか?」
「いや、、、乗ってないね」
「昔乗ってた?」
「乗ってないよ」
「え?」
「だからバイクに乗ったことないって」
「いや、今、懲りないねー、、R1かぁぁ、、、って!」
「なんで?」
「なんで?」
「バイクに乗ってなくても、懲りないねー、R1かぁぁ!って言っても良いでしょ?」
「、、、、まぁ、、、」
「じゃあ、アレルギーとかその時の手術でアナフィラキシーショックの疑いとか無いね?」
「、、、、、無いです」
「OK!じゃあ、当日は1発で眠らせるんで、ご心配なく!」
「はぁ、、、よろしくお願いします」
麻酔科を出た神楽本はナースの指示通りもう一度小田医師と面談をするために整形外科の待合室で座った。
「神楽本さーん、2番に入ってください」
「はい、、、」
言われるがままに2番の診察室に入った。
「あ、神楽本さん、当日、もし体調が悪かったりしたら言ってください」
「はい、、、」
「それと手術にはリスクがあると説明を受けたと思いますが、、、、」
「あ、はい。理解しています」
「手術は、、、万が一のリスクがたくさんあるんで、そのリスクを理解して頂かないと執刀出来ないんですよ、鎖骨骨折とは言え、細菌が混入する可能性もありますし、レントゲンやMRIで分からなかった事態もありますし、出血がひどい可能性もあります。麻酔が思ったより効かない場合もあったり、手術後に痛みが続く場合も、、、鎮痛剤で対処しますけど、痛みの根本が残る可能性もあります、、、まぁ、でも、神楽本さんの希望で手術するわけですから、それらを納得して頂いていると言うことでよろしいですね?」
「、、、、、、、、あの、、、それは失敗すると言う意味ですか?」
「いえ、今回は簡単な手術です。しかし安全の可能性は100%では無いと言うことです。手術にはリスクは付きもので100%安全な手術は無いんです。限りなく安全にやりますがそれでも100%の完全保証はありま、、、」
「、、、、何%ですか?」
神楽本はイラついて聞き返した。小田医師とは気が合わないことを自覚したが今は小田医師を頼るしかないのは分かっていたがリスク確認が患者のためではなく自分のために言っているような気持ちになり思わず聞き返してしまった。
「え?」
「だから、今回は、、、安全に無事手術が終わる可能性は何%ですか?」
「今お伝えしているのは%の話ではなく、そう言ったリスクがあると言うお話で、、、」
「100が完全な安全で0が危険マックスだとしたら今回の手術の安全の可能性は何%なんですか?」
「いや、簡単な手術なので、、」
「簡単な手術に危険があると?」
「リスクのお話なので、、、」
「じゃあ、失敗する可能性もあると?」
「いえ、簡単な手術なので、、、」
「じゃあ、安全に終われますよね?」
「安全に終わりますが、リスクもあるので、、、」
「、、、、、じゃあ、、、安全に終わらせる自信が無いんですか?」
「そんなことはありません。ただ100%の保証は、、、」
「だから、何%の保証があるんですか?」
「えっと、、、そう言うお話では、、、、、」
「じゃあ、どう言うお話?」
「リスクを、、、、」
「簡単な手術だけど失敗するかも、、、って、、、それは先生の問題でしょ?感染症などの危険が起こった場合は病院が適切な処置をすれば良いだけで、、、まさか世界で確認されていない未知のウィルスがこの手術で確認される可能性もあると?」
「いや、それは、、、まぁ、、、、、、」
「安全に終われますよね?超絶危険で一か八か世界に発表すれば名声ゲット失敗すれば医学界追放みたいな手術ならやめますけど、、、」
「いや、鎖骨で、、、簡単な手術ですし、、、しかし、、リスク、、、、、、、」
「、、、、、、」
リスクの話を逃げ口上にしているわけではないのでだろうが、小田医師の話し方が尺に落ちない物言いなので思わず言い返し詰め寄るようなことになってしまった。
「、、、、、、、では、これで手術の説明は終わりなので当日来てください」
「、、、、、はい、、、、」
リスク説明やコンプライアンスも良いが時と場合によるのではないだろうか。しかし医療裁判の件数が増えている事実を考えると医師が責任を回避したい気持ちも分かる。「先生は失敗しないって言った!」「医療ミスだ!」とイキリ立つ患者家族も問題だとは思うが、リスクを理解出来ないなら手術を受けるな!と言うのがリスク説明になっているのも事実だ。
医者は神では無い。高い授業料を払って医学の道に志を向け勉強に勉強を重ねたただの人間だ。そして患者はお客さまじゃない。疾患を持ち他にヘルプを言えないから病院に来ている弱者だ。この関係を美しくしようとしたがるからややこしい関係が出来上がる。人間同士、矛盾もあれば納得できないこともある。お互いがベストを尽くせばそれで良いだけなのだが、責任を自らが放棄し誰かに責任を持ってもらいたがるのもまた人間なのだろう。
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