自由を求めてまだ叫べ!「香港デモ」から学ぶ時間 3/3


前回の続きでこの話の最終話です。今回は長い記事です。ぐちゃぐちゃの事柄をなるべくシンプルにまとめてもこの長さ。お付き合いのほど、よろしくお願い致します。

話のスタートはこちら→騒ぎが収まったら確認すべき「香港デモ」
シリーズものはこちら→自由を求めてまだ叫べ 1/3

香港デモは過去の話ではありません。現在進行形です。
この香港デモの原因は究極の答えとしては「人類が共存の道を選ばない」ことが原因だと思っています。その昔に誰かが国家を仕事にしてしまったせいで現在まで世界は共存できていないのかも知れません。

とは言え、なぜ香港デモが行われ問題となったのか?を簡単に紐解いてみます。
毎度毎度書きますが、ややこしい方はご遠慮ください。気軽に楽しく読める方でお願い致します。

登場人物

イギリス、中華人民共和国、台湾、香港、この4カ国が登場します。
その4カ国に付属する支援国家は、
イギリス / アメリカ、中華人民共和国 / ロシア、台湾 / アメリカと日本、香港 / イギリスと日本、この表に出ない支援国家の関係も忘れないようにしたいですね。

中華人民共和国とわざわざ書くのは、台湾の正式名称は中華民国なので世界には2つの中国があるとなります。台湾とはそこに住む国民と世界での通称と言った感じです。が、中華民国と名乗らない台湾市民の気持ちもこの香港デモに少なからず関係しているのです。

台湾の歴史

中華人民共和国を支配していた最後の皇帝 溥儀(ふぎ)の没後、国内は荒れに荒れます。政治結社2党が権限を争うのですが、その2党が共産党と国民党。
結果的に政権は国民党に委ねられるのですが国民党の腐敗した暴政に業を煮やした共産党が国民党を国外へ追放します。追放先が台湾島でした。

共産党側から見れば中華人民共和国を取り戻したことになりますが、ご存知の通りその後は一党独裁の政治になって行きます。
一方、国民党は台湾島をWW2で日本の植民地とされるのです。しかしこの植民地化が台湾建国の礎となるのでした。様々な問題はあったにせよ日本軍はインフラを整備し町や政治の環境を整え台湾島を島から都市へと変えて行きます。
しかしWW2での日本敗戦と共に台湾は植民地統治から脱却するのです。
植民地化脱却を成し得た台湾は中華人民共和国への返還とされるはずだったのですが、台湾政府がこれを拒否し今の台湾(中華民国)となるのでした。
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経略
中華人民共和国から追放された国民党→台湾島へ→日本の植民地となる→日本軍が環境整備→WW2終了と共に中華人民共和国へ返還→拒否→国家としての台湾を名乗る
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香港の歴史

1842年 アヘン戦争に敗れた中華人民共和国は香港島と九龍(クーロン)の一部をイギリスへ割譲します。香港とその周辺はイギリスの統治下となりますが、もともと香港周辺は不毛の地とされていたため中華人民共和国にとって大した痛手ではなかったようです。
しかしここでもイギリス政府の指示により香港のインフラが整備され瞬く間に世界有数の大都市へと生まれ変わるのです。インフラの整備と共に成されたのは民主化。町であるにも関わらず政府が樹立して行く発展は凄まじいものだったようです。
これが香港の行く末を左右してしまうのでした。

1997年に香港とその周辺は中華人民共和国に返還されることが決まります。
香港市民側から見ると民主主義から共産主義への変化を簡単には受け入れられるわけがないのです。

香港政府からの条件は民主主義の持続でしたが、中華人民共和国側の答えは一国二制度と言うトリッキーな申し出だったのです。
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経略
植民地化された香港→イギリス資本での整備→民主化された経済と選挙→返還決定→これを拒否→条件付きで中華人民共和国に→香港政府として国家を運営
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一国二制度

簡単に書くと一つの国で2つの法律があるような感じです。日本の法律と東京の法律が違うとしたら誰の目にも無理があるでしょう。

香港基本法を中国共産党が決定し、その火種は徐々に徐々に町へと侵入して行きます。

書店店主失踪事件
初めに露呈したのが「書店店主失踪事件」でした。情報を並べる書店の店主が次々と失踪しました。その事件が下火になった頃、町から書店が消え始めました。失踪した店主の告発により中国政府に拉致され拷問を受けたそうです。中国政府の狙いは書店から共産党批判の情報を消すことだったそうです。
その流れを受け今では一部の回線で香港でさえも天安門事件のページがヒットしないそうです。

普通選挙実施
2017年普通選挙が香港基本法に基づき行われました。指名委員会の受理を受けた候補者が立候補し当選します。その候補者は共産党から出馬した共産党員だけの候補者となったのです。この選挙結果に伴い現在は共産党員で香港政府が運営されているそうです。

そして!

2019年 逃亡犯条例の改正

これが香港デモの引き金となりました。
国際法では「海外で犯罪を犯した犯人を現地の警察へ引き渡す」となっています。
事件は、「台湾で香港人が台湾人を殺害し台湾から香港に逃げ帰った」ことに端を発します。
これを受けた共産党は逃亡犯条例を改正するのです。
香港政府→台湾政府 ではなく、中国政府→台湾政府と改正案を出します。

これに激怒したのは香港市民。
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香港市民の経絡
自由化された経済→香港政府が選挙により共産党員で作られる→共産圏へと変貌する恐怖と不安→国の制度を中国共産党に指揮される逃亡犯条例の改正→香港での自由化が揺らぐ→それは共産主義への所属となる→香港デモで抗議

中国共産党の経略
国としての中華人民共和国の当然の行い→香港は国の一部→国の一部の町で暴動が起こった→共産主義への反抗→説得に応じない市民は国の治安を脅かす→テロを許さない
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香港デモを共産党が武力制圧しない理由

香港を武力制圧した場合に考えらる不利益は企業の撤退です。自由経済活動が出来たからこそ香港に進出してきた企業からみればそれが出来ないのであれば香港に意味がありません。
そして香港市民自体も自由経済圏での活動で暮らしを築いてきました。共産圏での経済不純を知っている香港市民にとって共産主義へ属することは暮らしの危機なのです。

そして台湾。
台湾の一番の経済圏は中華人民共和国です。そしてその逆も然り。武力制圧が成された場合、台湾政府は中華人民共和国への貿易を制限するのは当然でしょう。それは万が一にも武力制圧された香港があるならそれは未来の台湾とも見えるかも知れません。さらに台湾への支援国家がアメリカとなれば当然中華人民共和国にとっては不利益が揃っているのです。
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香港経済の経略
共産主義の町に自由経済は無い→香港を撤退→香港市民の経済低下→中国共産党にメリットが無い

台湾経済の経略
香港デモ→武力制圧が成された場合→それは未来の台湾かも知れない→中国との交易を制限準備

中国共産党の経略
インフラ整備の整った香港と言う港が必要→自由経済は主義に反する→一帯一路構想に基づき理想を求める→香港経済の維持
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中国共産党の政策 一帯一路 構想

国家元首 習近平は皇帝をも凌ぐ皇帝になると目される男です。
その男が掲げた政策が「一帯一路」と言う大構想。一帯一路構想は物流ルートの確立を目指すものですが共産主義に基づいた資本による物流となるでしょう。

一帯 / シルクロードを基準に中東やヨーロッパへの進出。
一路 / インド洋を経由しアフリカやヨーロッパや中東への海路での進出。

これが成された場合、共産主義資本が世界を席巻することになります。
それを食い止めなければいけないのが資本主義国家の政治となるのです。

まとめ
中華人民共和国、台湾、香港をまとめるとしたら、

中華人民共和国:一帯一路構想に基づき手始めに香港を中国化したい。ついで台湾との交易をも健全維持。国として中国国内の犯罪者を台湾に引き渡す条例を作る。

台湾:中華人民共和国に属することを拒否しつつも経済交易を維持。国としての台湾を示すために逃亡犯の引き渡しを要求。

香港:中華人民共和国に属すも共産主義には属さない。香港基本法は香港としての基本法であるべき。一国二制度に反する行いに加え共産圏への属性を示唆する犯罪法改正案の撤回を求める。
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今分かっていることは宗教も主義も完全なる終わりを見た者は誰一人としていないのが事実です。過去の思い付きを宗教と呼ぼうがイデオロギーと呼ぼうがその古きものを残したまま新しい何かも必ず登場するでしょう。

様々な宗教、様々なイデオロギーの発端は人々の平等と自由と平和のために作られたにも関わらず全てにおいて一度も成されていないことにそろそろ疑問も湧いてきます。

主義、宗教、固定された概念である理由は特にないと思っています。独裁国家でも国民が豊かさを感じ暮らしに感謝を持てれば独裁国家でもOKです。

自分にとって主義も宗教も内容はどうでもいいものですが内容を強く気にするのがこのフィクションを描いた統治者なので困った話です。

長くなりましたが、ご愛読感謝します。