自由を求めてまだ叫べ!2/2
前回の続きで最終話。
前回のお話はこちら→自由を求めてまだ叫べ
その以前に書いた香港デモからの話はこちら→自由を求めてまだ叫べ「香港デモ」に学ぶ
早速前回の続きを。
主義
以前にも書きましたが、主義には「社会主義」「共産主義」「資本主義」の3種類があり、「民主主義」の真逆が「独裁」です。
日本の場合、資本主義であり民主主義の国となります。
その結果はご存知の通りで「素晴らしい」と思う人もいれば「ふざけんな」と思う人もいるでしょう。どちらにしろ結果はその通りです。
社会主義は共産主義の前段階と言われ、独裁とも共存することが多いのは、国を取りまとめるのにキーパーソンが必要なのは必然だからだと思います。しかし、共産主義の矛盾は政府関係者が大衆より金持ちになる矛盾をスタートの時点から抱えることでしょう。
資本主義も同様ですが、資本を持つ者の利益追及が労働者に過酷な労働と安い賃金の配布となり、資本主義の理想を貫けない人ばかりとなっています。
社会主義も共産主義も、資本主義も理想を貫けないことが露呈した今、それを守る意味が分かりません。社会主義も共産主義も、資本主義も、民主主義も独裁も、全部失敗と言うことを認めることから始めれば良いだけだと思うのですが。
独裁
独裁はなぜ悪いのか?を考えたことがあるでしょうか。
ヒトラーが有名なとこですが、今でもたくさんの独裁者が世界にはいます。
日本では中国や北朝鮮を一党独裁と言いますが、選挙で選ばれてます。その選挙が問題だ!と言うことだとは思うのですが、アメリカ大統領選の方式は問題では無いのでしょうか。
民主党と共和党の2大勢力が独裁していると思わないのでしょうか。
日本の場合、初めての選挙は貴族と華族を条件外に当時の15円の納税証明を持ち25歳以上の男性のみで行われました。15円は今でいう30万円(物価は地方公務員の初任給が8円程度)です。人口の約2%の方々で内閣を決めていました。現在の投票率の低さは一番重要なスタートの時点で有権者数が少ない状態で始まったことに端を発していると思えます。
お金を持っていない人は選挙権が無いと言うところから日本の選挙はスタートしています。
ちなみに伊藤博文は初代総理大臣ですが選挙で選ばれたのではなく華族や有力藩士の後押しで総理になりました。初めて行われた国政選挙は1890年に行われ山縣有朋が選ばれ、伊藤博文が総理になったのは1885年です。
このあたりの時代の証明は「ごちゃ」っとしてますので時間軸の記述よりもその内容にフォーカスした方が合点が行くと思いますね。
現在(2019年)の投票率は衆院選で53%、参院選で48%です。投票は権利なので投票してもしなくても良いのが日本のルールですが有権者全体の半分の人で内閣を決めているのが事実です。
これを問題が無い選挙と言えるでしょうか。
そのルールを決めたのも内閣です。
そして日本は自民党が80年間(2度の失脚あり)政治を行っています。これをどう捉えるかは人それぞれですが、「自民党だけが日本の政治をやっている」とは思わないのでしょうか。
それを一党独裁と呼ばないのが不思議です。
選挙
民主化していても独裁でも選挙は行われます。選挙は文字通り「選ぶ」と言う意味ですが選ばれた責任と選んだ責任の両方が存在します。
しかし選ばれた責任を持つ者はルールを決めれます。選んだ責任を持つ者はルールを破ることは出来ません。
選ばれた責任を持つ者はその職を失っても食っていけるほどの有力者が大多数です。選んだ責任のある者は職が無ければ食っていけません。その職も選ばれた責任を持つ者がルールを決められます。
アンフェアです。
選挙が問題ではなくルールが問題だと感じています。
国益
政治家の多くが財閥の出身だったり、豪家の出身だったりしますが、政治家が貧乏であるのはマズイことなのでしょうか。
顔を出さなくても食っていけるならいちいち顔出さないでほしいと思う自分は間違っているのかも知れません。
しかし「国益」を政治家が言い出したらそれは商人(あきんど)です。商売を嗜(たしな)む政治家を求めているのであればそれが大衆の想いだと思うのですが、政治家は政治をやってほしいと思います。
昨今多く見られる災害を未然に対策するのは商人では出来ません。被災された町々を立て直す復興は商人には無理です。諸外国の脅威があるならそれに対応することは商人には出来ません。
商人の誇りは「売り上げをあげる」のが第一目標です。
政治家が商人になるのなら政治家を辞めて丁稚(でっち)に出て修行しましょう。
商人が政治家になるなら商売度返しで国のためだけに働いてほしいと思います。
政治に「国益」を求める我々も間違っているのを認めなければいけないかも知れません。
まとめ
政治がいつどのタイミングで登場したのか知りませんが、歴史の中で多くの国民や市民はずーっと貧乏です。
ローマ帝国は繁栄をしていたそうですが、その裏では奴隷制度があったのですから公認のローマ市民以外の人は貧乏だったと考えられます。
世界中の全員がある程度の豊かさを手に入れたことなど一度もない政治に何を期待すれば良いのか自分には全く分かりません。
社会主義も共産主義も資本主義も、民主主義も独裁も全部失敗の愚策主義だと思いますね。
王政もそうでしょう。
初めて政治が登場したその時から今この瞬間まで、世界中の多くの国民や市民が貧乏なのだからそれが政治ということになります。
そんなのいりますか?
と言うことで、政治家には世界中が平和で安心して暮らせるように仕事をしてもらえると言う大きな期待をしています。